舞台は現代ですが人の踏み入ったことがない山奥に小人が住んでいる、という設定です。

小人は狩猟採取で暮らしていて現代人から見ると遅れてます。さらに体長が大人で20センチほどで、読者は自然に俯瞰するだろうと思いました。

最初に描きたかったのは宗教的なもの。

原始のころ人はおそらく力でお互いを支配しようとし、争い合い、それはむごいことだからなんとかならないか、と納得ずくで治めるために宗教をこさえた。人の知恵がつまっていていいことをたくさん言っている。しかし不可解な自然現象、世界の仕組みや成り立ち、人生の理不尽などを一つの教えで説明しようとしたために物語(嘘)が混じった。

細かく違う宗教がたくさん生まれ、争いを避けて人を救うはずだったものが逆に争いの種になり、その後は宗教の嘘を除いて本当のことだけを追求しようと哲学が生まれ、しかし本当のことを突き詰めるのはしんどくあまり広まらず、宗教や習慣が違っても人にはたくさんの共通点があるじゃないか、と文学的なものが普及し、でもそれは強い力を持てず今も争いは絶えない。

自分はこれらに共通するもの、紐解くキーワードは「物語」と考えているのですが、それはさて置き宗教には嘘(物語)が混じり、混じりながらもそれを求めてしまう。小人も同じで、自意識や知性を持った生き物はたぶんそう。彼らを俯瞰で追えば自分たちに反射するのでは、というのがモチーフでした。

そして世界には様々な宗教、流儀があり、それを逃れて愛し合うふたりになってもそこで平穏が続くとは限らない。しかしひとりにもなれない。楽園など果たしてあるか? どこに? というのがタイトルの由来です。

前作から引き続き架空の世界を扱ったのは、縛りが少ないからでした。現代物なら現実と照らし合わせるし、時代劇なら時代考証が必要です。でもファンタジーなら作者の匙加減でなんでもあり。アクションも難なく描けます。動きで描くのは楽しいですね。前記したメンドクサイことがいろいろ下地にありつつも、それは味つけ程度でメインはアクションありラブあり友情ありのエンタメになってるはずです。

ラストをあそこで終えたのは、その後が容易に想像できるから。自由に想像していいのが物語の醍醐味ですから。


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